忍山神社 (三重県)と倭姫、そして弟橘媛
三重県亀山市野村に鎮座する、忍山神社
『延喜式』神名帳の伊勢国鈴鹿郡に、「忍山神社」が見えます。
主祭神:猿田比古命。
ほか、饒速日命、大水口宿禰命、忍山宿禰命、伊香我色雄命をはじめ、旧村内合祀の祭神を併せて二十四柱を祀ります。数度にわたって兵火に遭い、中世荒廃しましたが、近世には復興、享保十(1733)年に亀山城主板倉勝澄によって社殿の修復がなされたと伝えます。
当地は、伊勢大神の遷幸伝承地のひとつです。
『倭姫命世記』には「味酒鈴鹿国奈具波志忍山」とあり、『皇大神宮儀式帳』にある「鈴鹿小山宮」の旧跡とする説もあるようです。
鈴鹿川の北岸近く、集落の南はずれに鎮座する。すぐ南に関西本線の線路が走る。野村町の東北隅に愛宕山と呼ばれる海抜90メートルの丘陵があり、この南麓地点が旧社地と推定されている。
この旧地に神宮寺として神福寺と共にあったが、文明4年(1472年)に、兵火によりことごとく灰燼に帰した。いま野村にある慈恩寺は神福寺の遺蹟とされている。その後、仮殿に祀られた。永禄の戦乱(1565年前後)には、一時兵火を避けて白木山に御神体を奉遷したといわれ、中世におけるその荒廃は著しかった。
この地は伊勢大神(つまりアマテラス)の遷幸の地であるとされ、倭姫命(ヤマトヒメ)が天照大神を奉じ、桑名野代宮から鈴鹿に来た際、この忍山にて神宮を奉斎した忍山神宮の旧跡という。伊勢の神宮(伊勢神宮)の皇大神宮(内宮)の元宮の一つである可能性がある。
『皇太神宮儀式帳』に「河曲鈴鹿小山宮」、『倭姫命世記』に「奈其波志忍山宮」とある、アマテラスを奉斎したヤマトヒメが滞在した元伊勢の伝承地の一つ。
「弟橘媛命生誕地」
弟橘媛の父は、穂積氏の祖・忍山宿禰です。
日本武尊(ヤマトタケル)の妃弟橘媛(オトタチバナ)は当社祀官忍山宿禰(オシヤマノスクネ)の娘と伝えられている。
忍山神社
住所: 〒519-0165 三重県亀山市野村4丁目4−65