弟橘媛のご神体とされたお櫛は今はなく伝説の岬にお社もありません。
弟橘媛の入水から七日後,弟橘媛の御櫛が浜に漂着し,それを納め御陵としたのが,かって旗山崎の岩窟にあった橘神社にあったと伝えられています。この橘神社の小祠は1885年(明治18年)軍の都合により取り壊され,1909年(明治42年)走水神社に合祀されています。
明治の砲台の図です。旗山崎の突端に砲台がもうけられました。この為「弟橘媛のお社」は取り壊され走水神社に合祀されました。しかし、その際にご神体である形見の「お櫛」は喪失されました。
弟橘媛と日本武尊はしばらくの間、この走水の地にある「旗山崎」に仮御所をお建てになり過ごしました。その為この岬を「御所が﨑」とも申します。
旗山崎の海。現在は入る事が出来ませんが、この海岸より舟を出港させられたと予想されます。
走水神社から対岸の千葉県富津市を望む。東京湾を挟んで手の届きそうな対岸に向かう途中で大波にあわれて、弟橘媛は入水されたのです。
旗山崎は現在公園になっておりますが、砲台跡などがあり危険な為立ち入りは禁止されています。
護るべきを護らざれば成らぬ 立たぬ 真の強さを必要とされる
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