弟橘媛と東郷平八郎

弟橘媛と海軍 東郷平八郎と乃木希典 

東郷平八郎と不思議な話

海上自衛隊Y氏の不思議な話

 

明治時代に御所ヶ崎に砲台を造ったときに、現地の司令官が功を焦って、弟橘嬢命の櫛を探しました。その為に弟橘嬢の御陵(みはか)を破壊してしまいました。

 

そして、東郷平八郎が軍艦で走水沖を通ると、船首に白衣をまとった美しい女性が立ったといいます。

 

それは海がしけている時は勿論のこと、凪いでいるときも必ず立ったといいます。それで東郷平ハ郎は霊感の強い神社の巫女のような人に相談したといいます。

 

それで、弟橘媛命の碑が建ったのだと言われております。また、江田島の海上自衛隊の幹部候補生が防衛大学に研修に来るときは必ずこの碑に祈りに来る慣わしになっているということです。

以上が先輩の自衛官から聞いた話です。 

 

(参照:http://www.potensia.jp/masako2/umi-mega-3b.htm

 

東郷神社 氷室氏の不思議な話

 

走水神社の碑が建てられたのが明治四十三年ですか、その頃、東郷平ハ郎は学習院で皇室関係者の

教育係となっていました。

 

東郷平八郎はそれまで冷遇されていたのに、日露戦争に勝つことで、全てが神格化されました。

彼を神格化する為にいろいろな事実と違った情報が流されました。海軍なら東郷、陸軍なら乃木だったわけです。

 

私共は日露戦争に勝ったから東郷平八郎が神になったのではなく、神とは人間の力を超えたものと考えております。

彼は質素な生活、不言実行の人、世界に認められた真心の人だったから、神に通じたのだと考えております。

 

お問い合せの走水神社、碑の件ですが、海軍の東郷だけでなく、陸軍の乃木もですか?普通では考えられない碑ですね。ましてや皇室が関係するとなると余程の事がないと決定されないことですね。

 

(参照:http://www.potensia.jp/masako2/umi-mega-3b.htm

 

記念碑・顕彰碑・感謝の碑

明治43年6月5日建設 

 

 

竹田宮昌子内親王による弟橘媛が走水の海に入水されるときに詠んだ詩が表に彫ってあります。

「さねさし  さがむのおぬに  もゆるひの ほなかにたちて  といしきみはも」

 

発起人 

海軍大将正3位勲1等功1級 伯爵 東郷平八郎

海軍大将従2位勲1等功1級 伯爵 伊藤祐享

海軍大将従2位勲1等功2級  子爵 井上良馨 

陸軍大将従2位勲1等功1級 伯爵 乃木希典 

海軍中将従3位勲1等功1級 男爵 上村彦之丞

陸軍中将従4位勲2等功2級     藤井茂太      

枢密院顧問官兼御歌所長従2位勲1等 男爵 高崎正風